Q.1: アフガン緞通の特徴
「素材/ウール(羊毛)について」
アフガンでは、多くの織物がウール(羊毛)で織られています。
ペルシャ絨毯などからカーペットはシルクと思われる方も多いようですが、ペルシャやトルコ、アフガニスタンでの婚礼品や日常使いの良質な敷物には、本来ウール(羊毛)が使われています。ウールは、赤ちゃんの おしめカバーに使われるように通気性も良く、汚れにも強い。良質なウールを使ったパイル織りカーペットには光沢があり、使い込めば使い込むほど味が出て来ます。親から子、子から孫へと100年以上使えるのが当たり前とされています。アフガニスタンには、大きく分けて8種類の羊が生息していますが、その内6種から取れるウールだけが緞通用のウールとして使われます。中でも最もよく使われるのが北部に生息するカラクル羊で太い尾が特徴です。北部の傾斜地で飼われるカラクル羊は、気温が日陰でも30〜40度まで上がる極めて厳しい環境の中で生息する為、とても丈夫な羊であり、2種類の羊毛を持つことで知られ、そのどちらもが長持ちし、光沢に優れ、巧く混ぜ合わせることによりカーペットの為の理想的な羊毛となります。
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「染めについて」
アフガ緞通やキリムのウール糸の染色には、独特の自然染料や良質の化学染料が使われています。当然ながら、自然染料の製作には多くの手間を要すため、商業化の波と共に化学染料を使う頻度が高くなっていましたが、欧米諸国のエコブームも手伝ってか?80年代頃からは北部の緞通生産の主要な地域で、天然染料の使用傾向が再び高まってきました。
アフガンにおいて、良質な緞通を織る事で良く知られる「トルクメン人(族)」が使用する代表的な自然染料は「茜(アカネ)」です。「茜」の根が生み出す暖かで豊かな赤色は、単独で使ったり、他の染料と混ぜ合わせることでローズピンクから赤茶色に至るまで様々な色合いをつくり出す事が出来ます。「茜の木」は、北部のシベルガンやアンホイ周辺の比較的気温の低い地域で広範囲に分布しており、秋の終わり頃に根を掘り起こします。
掘り起こした根を1センチ位に小さく切り、約40日間乾燥させた後、きねで潰しパウダー状にします。根の皮の部分はピンクローズ色になり内側の芯は赤茶色になります。また同じく北部地域のマイマナ周辺の草原で豊富に育つ「黄色い木」と言われるイスパラクの花は、4月〜5月にかけて収穫され乾燥させて粉末にします。この花からは、黄色や緑をつくり出す事が出来ます。クルミの皮やザクロの皮、麦のわらなども色に変化を与える重要な染料として使われます。最近ではあまり使われていないようですが、カルムズと言われるオークの樹皮に生息する昆虫を乾燥させたモノも以前は一般的な染料として使われていました。そして、これらの自然染料をウール糸に定着させるためにミョウバンが使われています。
「手織りについて」
アフガン緞通は、ペルシャ絨毯などと同じく「センナ結びで」織られ、中でもトルクメン族の作品は、ヨコ糸を2重でかけることから、パイルの一方を引っ張っても結びが抜けるような事がなく丈夫な事でも知られています。
1枚の緞通を織る職人の人数は、その幅によって決められる事が多く、一人の職人が受け持つ幅は約60〜75cmで、水平においたルーム(織り機:木の枠、最近では鉄の枠が多い)に横並びに座り、常に歪みなどが無いことを確認しながら前方へ織り進みます。60cm幅のもので一日に約3cm程しか織り進む事が出来ない地道な作業が繰り返されます。

Q.2: 「緞通」って?何でんねん?
緞通の呼称は中国の「毯子(タンツー)」に由来するといわれています。 一般的に羊毛やシルクなどの自然繊維を使い手織りの製法で仕上げるカーペットを緞通と呼び、その産地の名前で呼ばれることが多いです。その製法は、地経糸にパイルを結び、これを1本1本カットしながら織っていくというスタイルです。パイルの結び方には、2つの方法があり、1つはペルシャ緞通に代表される「センナ結び」、1つはトルコのヘルケシルク緞通に代表される「ギョルデス結び」です。緞通は単位面積あたりのパイル数(ドット数)が多い程手間がかかり、品質も優れたモノとなります。
一般的に部屋に敷きつめるタイプの敷物を「カーペット」。ポイントに敷くタイプの敷物を「ラグ」。マンションなどの玄関などに敷く小さなタイプの敷物を「ラグマット」。ベッドサイドや廊下に敷く細長いタイプの敷物を「ランナー」。と呼ぶことが多い。(一本化された定義はない)

Q.3: では?緞通の起源は?
「絨毯の起源について」
人類が狩猟生活を営んでいた先史時代とされています。石器時代の住居は竪穴住居と呼ばれ、北方では寒さと地面からの湿気を防ぐために獣の皮を敷物とし、南方では草や木の皮を編んで暑さをしのいでいました。狩猟時代から農耕牧畜時代にはいると、衣食両用に適した羊が家畜として飼育されるようになり、その毛を縮充(繊維に湿熱を与えて収縮させること)してフェルトにした敷物が発達しました。その後、織物として最も簡単な平織物の粗い厚地の織物が生まれ、古代バビロニアやエジプトでは織物技術が進歩し、縞模様やつづれ織りの敷物が生産されました。バビロンの宮殿にはヨコ糸に色糸を用いて模様を平織りにつづったつづれ織の敷物が2万枚も敷かれていたといわれています。やがて、フェルトやつづれ織のような平面的な敷物に代わって、暖かさ、感触の良さを生かすパイル系の厚みのある敷物が生まれました。これが地経糸に一つ一つパイルを結びつける緞通です。緞通がいつごろに生まれたのかは明らかでありませんが、中央アジアを中心にインド、中国、ペルシャなどに広まり、それぞれの地方で独特の発達を遂げました。現存する世界最古のものは1945年に、旧ソ連の考古学者がアルタイ地方のパジリク渓谷・スキタイ王族の古墳から発見したもので、これは紀元前5世紀頃のものと言われています。
この緞通は幅1.8m、長さ1.98mで、トナカイや騎士の模様があり、タテ糸に結びつけられたパイル数は1平方センチに54本もある緻密なものです。中央アジアで発達した緞通は遊牧民や隊商の手でシルクロードを通じて中国へ、あるいはアラビアを経由してアフリカの北海岸へ、コーカサスから東欧を経てスカンジナビアへ、モロッコからスペインや西欧へと伝えられていきました。
「日本への伝来」
日本で初めて用いられたカーペットはフェルト・カーペット、すなわち毛氈でした。「魏志倭人伝」には239年に魏の明帝が女王卑弥呼に毛氈を贈ったと記されており、「日本書紀」には百済の聖明天皇が「かりかも」と呼ばれる毛氈を献上したという記録が残されています。また、天武10年(681 年)には、「みだりに毛氈を用いてはならない」という禁止令が出されています。8世紀には下野国(現在の栃木県)で毛氈が作られていたという記録があり、奈良時代において、すでに毛氈が普及していたようです。正倉院には西域から渡来してきたと思われる色氈、白氈、花模様など、様々な毛氈があります。中国やペルシャの緞通が日本に渡来したのは足利時代で、中国との勘合貿易の品目にも「緞通」が記されています。日本で最初に緞通がつくられたのは元禄年間で、現在の佐賀市扇町でつくられたものです。これは韓国から技法を習ってつくられたと言われていますが、鍋島藩主はこれを門外不出の秘法として温存したため、「鍋島緞通」とか「相良緞通」といわれています。天保年間には兵庫県赤穂で「赤穂緞通」が、また、大阪の堺で「堺緞通」がつくられました。特に堺緞通は明治年間には輸出が活発となり、有名になりました。
◆REMARKS
日本で織られていた緞通は主に木綿糸を使用。(鍋島・赤穂など)
アフガンでは、一部シルクを使用するものを除いてほとんどは羊毛を使用。