稲岡 義徳  Yoshinori Inaoka

社会福祉士

熊本県生まれ 
大学卒業後、身体障害者福祉施設「京都太陽の家」に就職。
そこで行なわれる地域交流の祭り「サマーフェスティバル」で福定氏・日野氏との出会いがはじまる。
普段は相談専門員として、施設利用者や地域で障がいを持つ方々の生活・就労相談などに携わっている。
ライフワークは障害者野球



inaoka.jpg稲岡さんと野球仲間

Message to MVP(2007年)

眼力からのメッセージ
数年前、福定さん自らがアフガンで撮影した写真の展覧会に足を運んだ。
映し出された人々の表情が実に穏やかでにこやかな笑顔を見せている。
福定さんの撮影センスにも驚いたのだが、その写真に映し出された人間達にすぅーっと吸い込まれていくような感覚を持った。
そして、しばらく見つめていると、穏やかな表情の奥底に、鋭い眼光そして哀しき眼光が見えてきた。
福定さんが、日野さんがなぜアフガンに足を運ぼうと決意し、今でも続けているのか、私はアフガンで暮らす人々のその眼力に何かあるのではないかと考えた。



ーアクチャ村に暮らす一人の少年。身体に障害があり、歩行が困難であるという。
彼は父が手作りで作った手押し車のようなもの使って移動していたらしい。
そんな時に福定さんからの1本の電話。「車いすを日本から持っていきたい。どうにかならないか。」「倉庫に眠っている車いすがあります。中古ですけどいいですか。」メンテナンスを行ない、職場体験にきた中学生とせっせと磨き、福定さんに手渡した。
そして、8月。アクチャ村の少年に車いすが届いたというメール。写真が添えてあった。少年が車いすにちょこんとのっている。サイズがやや合っておらず、申し訳ない気がしていたが、かなりの労力と月日を費やし現地に届けてくださったスタッフの方々にとっては大変なご苦労があったにちがいない。
感謝の気持ちでいっぱいで、紛争に巻き込まれながらも、その日を生きる少年。しっかりとこめられたメッセージがその眼光から響いてくる。それが『生きろ』と私の心に響いてくる。福定さんが小さな赤ん坊をしっかり抱いていた。